
使い込まれた2つのバリカン。四条河原町東「くしだ理容院」で明治から大正期に使われていたという貴重な道具のひとつだ。同店の創業は明治30年(1897年)。日本での西洋理髪が明治維新後の断髪令(1871年)を機に広まったことを考えると、100年以上にわたって看板を守り続けるこの店は老舗中の老舗。先代が河原町蛸薬師西入ルへ店を構えて以来、昭和18年、戦時下の強制疎開のために蛸薬師南へ移転、戦後昭和30年に現在の場所へ移りつつも常に四条界隈で人々に愛され、まちとともに歩んできた。
そもそも「バリカン」というのは日本だけの呼び名。正式名称は「クリッパー」といい、最初に輸入されたものがフランスのバリカン・エ・マール社製だったことから、この名が定着したという。日本に初めてもたらされたのは明治16年、在フランス大使書記官が持ちかえったものとも、明治7年、菱屋(丸善の前身)が輸入したものともいわれ、写真左のように両手式ハンドルだった。これにヒントを得て、明治21年には早くも小型化された日本式バリカンが発売され、写真右のような片手で使えるバネ式なども考案、電動バリカンの登場まで活躍した。
くしだ理容院が開店した明治のころ、輸入バリカンの価格は1挺12~3円。理髪料金が刈り込み6銭、顔剃り3銭だったことを考えると驚愕するほど高価だったことがわかる。当時、理容院は「舶来職」「西洋床」「英仏産髪剪所」などと呼ばれ、いわば“ベンチャー”業種だった。高価な機材と新しい技術を携え、京都一の繁華街に店を構えた先代店主。その思いを忘れないためにも、2つのバリカンは現在まで大切に保管されてきた。
また、理容業に欠かせないカミソリも、先代愛用の品(下写真の左)が残されている。新しいもの(下写真の中央)と比べてみると、刃の形が細く、その幅の分だけ長年にわたって手入れされてきたことが分かる。
写真右端はカミソリの裏を砥ぐためのすき器。「表通りの電信柱がまだ木製だったころ、電柱にカミソリの刃をあて、持ち手部分を胸で支えて立ち、両手にこのハンドルを持って一心に刃を砥いだものです」と二代目店主の櫛田嘉三さん。今年80歳を迎える嘉三さんは居合道五段の腕前で、長年、真剣と向き合ってきた。「剣を持つ手も、鋏を持つ手も同じ。道具を生かすのは使う人の心次第です」と話し、道具を磨くことは技を磨くことに通じると語る。「道具にはお客様を思う心が表れる」という言葉に、道具とともに受け継がれてきた職人の気概があふれてる。
使い込まれた2つのバリカン。四条河原町東「くしだ理容院」で明治から大正期に使われていたという貴重な道具のひとつだ。同店の創業は明治30年(1897年)。日本での西洋理髪が明治維新後の断髪令(1871年)を機に広まったことを考えると、100年以上にわたって看板を守り続けるこの店は老舗中の老舗。先代が河原町蛸薬師西入ルへ店を構えて以来、昭和18年、戦時下の強制疎開のために蛸薬師南へ移転、戦後昭和30年に現在の場所へ移りつつも常に四条界隈で人々に愛され、まちとともに歩んできた。
そもそも「バリカン」というのは日本だけの呼び名。正式名称は「クリッパー」といい、最初に輸入されたものがフランスのバリカン・エ・マール社製だったことから、この名が定着したという。日本に初めてもたらされたのは明治16年、在フランス大使書記官が持ちかえったものとも、明治7年、菱屋(丸善の前身)が輸入したものともいわれ、写真左のように両手式ハンドルだった。これにヒントを得て、明治21年には早くも小型化された日本式バリカンが発売され、写真右のような片手で使えるバネ式なども考案、電動バリカンの登場まで活躍した。
くしだ理容院が開店した明治のころ、輸入バリカンの価格は1挺12~3円。理髪料金が刈り込み6銭、顔剃り3銭だったことを考えると驚愕するほど高価だったことがわかる。当時、理容院は「舶来職」「西洋床」「英仏産髪剪所」などと呼ばれ、いわば“ベンチャー”業種だった。高価な機材と新しい技術を携え、京都一の繁華街に店を構えた先代店主。その思いを忘れないためにも、2つのバリカンは現在まで大切に保管されてきた。
また、理容業に欠かせないカミソリも、先代愛用の品(下写真の左)が残されている。新しいもの(下写真の中央)と比べてみると、刃の形が細く、その幅の分だけ長年にわたって手入れされてきたことが分かる。
写真右端はカミソリの裏を砥ぐためのすき器。「表通りの電信柱がまだ木製だったころ、電柱にカミソリの刃をあて、持ち手部分を胸で支えて立ち、両手にこのハンドルを持って一心に刃を砥いだものです」と二代目店主の櫛田嘉三さん。今年80歳を迎える嘉三さんは居合道五段の腕前で、長年、真剣と向き合ってきた。「剣を持つ手も、鋏を持つ手も同じ。道具を生かすのは使う人の心次第です」と話し、道具を磨くことは技を磨くことに通じると語る。「道具にはお客様を思う心が表れる」という言葉に、道具とともに受け継がれてきた職人の気概があふれてる。
