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柴田勘十郎弓店「巾定規」

江戸の昔から使われ続けてきた「巾定規」。
一期一会のものづくりこそ弓を打つ喜び。

弓を削り出す際の目安となる巾定規。左端のものには「天明三年卯正月吉日」と刻まれている。

は戦国、京の都・本能寺。逆臣明智光秀の急襲を受け、少ない手勢のなか敵に弓引く織田信長。その手にしていたのが柴田の京弓だった、というのは弓道家たちの間でいまも語られる逸話だ。家業を引き継ぐ二十一代柴田勘十郎氏に問うと「本当のところはわかりません。なにせ400年も前のことですから」と、驚くほどあっさりとした返事が返ってきた。古来、武具に伝説はつきものというが、真偽よりも一人ひとりの使い手に愛され、重用され続けてきたことこそ柴田の弓の本意なのかもしれない。

はいえ、そんな逸話が残るのも長い歴史があるからこそ。創業は戦国時代の只中である天文3年(1534年)、本能寺の変が起こるおよそ50年前。初代が薩摩の島津家に弓術指南役として仕えたことに始まり、江戸時代には京の弓座の座長を務めていた。20年ごとに行われる伊勢神宮の式年遷宮では、御神宝である五十九張の梓弓の調整をいまも柴田家が手がけている。弓師として最高の栄誉職と言えるだろう。

本の弓は薩摩弓、尾州弓、江戸弓、京弓の4種類に大きく分けられ、なかでも京弓は優雅で軽く、しなやかな引き味と鋭い冴えを併せもつといわれる。使われるのは主に京都に自生する竹。寒暖差の激しい京独特の環境で育つと、繊維が締まって密度が高くなり、大きくならないかわりに硬く、節も高くなるという。削りにくく弓師泣かせというが、竹本来がもつ性質が弓を優美剛健に仕上げる。もとは京都も弓の一大生産地だったが、いまその伝統を受け継ぐのは柴田家ただ一軒となった。

条通りの繁華街から大人の足で歩いて10分ほど。御幸町通万寿寺上ルにある店舗は、一般で言うところの弓具店とは異なり、弓の制作・販売・修理を行う「弓屋」。京弓の伝統美と特徴をよりよく理解してもらうために、弓を引く本人と直接会って個性にあわせた一張を仕上げていくことを変わらぬ信条としている。好みや癖だけでなく、住んでいる地域の気候や利用している道場の環境なども考慮して、後々の手入れや扱い方、修理の相談にも対応しており、そこに「弓師として弓を打つ喜びがある」と言う。

刃物が上手く研げてこそ腕も上がる。持ち柄いっぱいの巾があった刃も半年ほどで写真手前のように半分に減ってしまう。の信条を顕しているのが写真の「巾定規」。弓の材料となる竹やハゼノキを削り出す際、削り巾を決める目安となるもので、竹製の定規に刻まれた凹凸を材料に沿わせて測りながら刃を当てていく。定規には流派名などが刻まれているものもあり、オーダーする人や流派によって使い分けられている。幾種類もの定規が無造作に入れられた道具箱を手渡され、「どれでも好きなものを写真に撮って行ってください」と言われたものの、手に取ってみると明治や大正の日付が入った古い道具ばかり。なかには「天明三年 卯正月吉日」(1783年)と書かれたものもあり、いまも現役で使うことがあるというから驚かされる。

伝来の道具を使い続ける一方、当代勘十郎は伝統という枠にとらわれすぎないものづくりにも目を向ける。受け継がれてきた手法や価値基準にこだわるあまり、個人の努力や工夫を否定すれば結果的に伝統の名に甘んじてその技本来の魅力を衰えさせてしまう。「職人より技術屋でありたい」という気概が400年の歴史を未来へつなげている。

柴田勘十郎弓店
京都市下京区御幸町通万寿寺上ル須浜町657
TEL.075-351-1491