

東海道五十三次の西の起点、三条大橋の西のたもと。道行く人がときおり珍しそうに覗きこんでいく店がある。昔ながらの趣を残す軒先には屋号や業種を示す看板はなく、通りに面してずらりと箒が吊り下げられ、手前には大小さまざまなタワシやブラシ、料理や友禅に使う
幕末の文政元年(1818年)から200年にわたって棕櫚製品を専門に扱ってきた「内藤商店」。古くから箒や縄、敷物などに使われてきた棕櫚の木は、温暖な和歌山県が産地としてよく知られる。「初代の店主はもともと四条に店を出すことを考えていたそうなのですが、当時は和歌山など遠方からの荷が東海道や高瀬川を通って荷降ろしされるのは三条だったため、この地に店を構えたのだと聞いています」とは女将の内藤幸子さん。店舗は80年前の昭和2年(1927年)に一度建て替えられているが、店内で陳列に使われている
なかでもひときわ目を引くのが、小上がりになった店の間に置かれている帳場格子。「結界」とも呼ばれる間仕切りの内側は引き出しの付いた文机になっていて、お勘定や帳簿付けが行われる。昔はどの商家にもあったものだが、現役で使われている店がいまどのくらいあるだろうか。「改めて言われてみれば確かに古いものなんですが、先代も大事にしていたものだし、ここにあるのが当たり前で・・・」と幸子さん。使ってきた歳月が長いほどに味が出て愛着が増すのは職人の手づくりならではだろう。
と、ここで幸子さんが奥から一本の使い込んだ長柄箒を出して来てくださった。毛先は多少すり減ってはいるが型崩れもせず、竹製の柄は艶が出て飴色になっている。「私が24でここへ嫁いだときは4世代同居で、百歳を越えた大ばあさんも健在だったんです。大ばあさんは三条大橋での侍の斬り合いを覚えていたような人で、これはその愛用の箒。使い方さえ心得ていればとても長持ちするものなんですよ」。
いまも奥で三世帯が同居するというこの店で、一貫して守られてきたのは自然の素材と職人の手仕事による商品を取り扱うこと。「きちんとした商品さえ置いていれば、お客様が信用してまた来ていただける。それに勝る宣伝はない」というのは先代の言葉。看板を上げず、包装紙にすら名を入れないでいるのも、その信条を大切にしていきたいからだという。
京都の工芸や料理などに携わる職人のなかには、この店の商品の愛用者も多く、タワシ一つを大阪からわざわざ買い替えに足を運ぶ90歳の女性や、長柄から小箒まで一つずつ揃えていきたいと通う若いお母さんもいる。「店や古い道具類はもちろん、商売そのものも自分のものではないんです。先祖や世間のみなさまから預かっているだけのこと。先代がしてきたように次へ渡していくだけです」と笑顔を見せる幸子さん。そんな京の商人の“当たり前”が、世界に誇る京都文化を支えてきたのかもしれない。